東京勤医会の看護学生担当師長、内田です。
先日、看護学生のHさんが「実習のレポート、やっとできました」と持って来てくれました。
1年次の最後の実習、脳梗塞で入院した患者さんを受け持ったHさん。
患者さんの病態を学び、生きてきた歴史を学び、日中1人でいる妻を思う気持ちから治療・リハビリに励む患者さんの思いに寄り添い展開できた実習…
Hさんの優しい気持ちがあふれるようなレポートでした。
抜粋してご紹介しますね。
「自己喀痰する」
日を増すごとに一緒に意識的にできていったことは、自らの病態を意識的に捉えることであり、とても大切なことだった。
はじめはティッシュをそのままゴミ箱に捨てるだけだったが、喀痰する度に、痰の性状を一緒に意味を持って観察するようになり、黄色い時は「黄色いなあ・・・」と渋い表情で言い、白い時は「白くなった」とうれしそうに話してくれるようになった。
なかなか喀痰できずにいたAさんだったが、「今、痰が出たんだよ」とうれしそうに伝えてくれた 私自身もそれが本当にうれしくてたまらなかった。
まさか痰を通してこんなに関係を築いていけるとは思わなかった。
「病態を捉えた」という実感
「視床穿通動脈」の存在に行き着いたとき、初めて病態を「捉えた」という感覚を味わうことができた。調べれば調べるほどA氏のいろんな症状が一点に集中して繋がっていきとても深い学びをしたと感じた。
「戦争から帰ってくるのが恥ずかしかった」
こんなに歳月を経ても、当時の教育によって人生さえも狂わされ、こころの傷となって残ってしまっていると思うと悔しくてたまらなかった。
真剣に受け止めて考えていきたい。
「歩み寄る」
「寄り添う」という言葉よりも「歩み寄る」という言葉の方が今回の実習では合っている。
私にも変化があり、A氏にも変化があった。
何が大切だったのか振り返れば、真っ先に思い当たるのは「目的地」の設定だった。
A氏には「ばあさんに逢いたい」という強い思いがあった。
そして、私にはそれをこころから応援したいという思いがあった。
「上等だよ」
技術の面で相当迷惑をかけたであろう私に、A氏はそう言って励ましてくれた。
この実習はA氏の長い人生の中のたったひとコマだったかもしれないが、私にとっては物凄く大きな影響力を持つ出会いとなった。
…27ページにわたってまとめられているんですよぉ!
全部紹介できないのが残念です。
看護の仕事っていいですね。
患者さんの生き方から学ばされることがたくさんあります。
私まであたたかい気持ちにしてくれたHさん、ありがとう!