農業グループに続いて、雇用グループからの発表がありました。
労働者の雇用形態、雇用法がもたらしている現状について、具体的な事例を通して学び、労働者の働く権利とそれを守るための雇用の在り方、人間にとって働くことの意味を考えるという目的で、フィールドワークに参加しました。
2009年10月に第一回目の「千葉派遣村in東葛なんでも相談会」を松戸駅で開き、以後継続している相談会への参加です。医師、看護師をはじめ、弁護士、土建関係者、労連関連者、社会福祉士、ボランティアなど様々な方が参加しました。
参加する前は、路上生活者の方について「大変そうだな」とか「自分はあんなふうになりたくない」としか思わない存在でした。
相談者からは様々な声がありました。
喘息を持っており病院に行く必要があるものの高くて薬代も払えないので受診していないという方がいました。
保険証をもらおうと市役所に行っても住所がないから発行ができないとけんもほろろに断られてしまったこと。
この方は無料定額診療を行なっている病院を紹介し、後日受診する予定になりました。
相談件数はこの1日で、44件、電話相談1件の45件でした。
路上生活者から直接お話を聞いてみて、病気になったり仕事が続けられなくなったりしたことが原因でやむ負えず路上生活を送っている現状を目の当たりにしました。
また、なんでも相談でお話をした人の中にはそれだけでも表情が明るくなったりした人もいたので、受け皿として大切な場だとも感じました。
しかし、病院へ行くことに関してはハードルが高いと感じている人が多いと気づきました。受け方が分からずに受診しない人や、お金と住所がないことがネックになっている方もおり、そこから、医療・生活保護について現状の制度に問題を感じるようになりました。
憲法25条が謳う「健康で文化的な最低限度の生活」を前にしたとき、「この人は今は健康かもしれないけどそれでいいのかな」「文化的な生活を送れていると言っていいのかな」「国の言う最低限度の生活に達しているのだろうか」「そもそも最低限度の生活って何だろう」
と、数々の疑問が浮かび上がってきました。衣食住の保証すらされない路上生活者の前には最低限度以下の生活なのではないか、ということ。また、好きなことをしたり、旅行へ行ったりする「文化的」なことなど、できない現状があります。
フィールドワークへ行く前は、貧困者に関しては自己責任なのではないかと思っていましたが、それは違うのではないかという感想が出ました。また、自分たちの暮らしは本当に豊かであるかを考えました。
子どもの貧困も現在は大変な問題としてとらえられています。
参考として観た「見えない貧困~未来を奪われる子供たち~」では、学生と同じくらいの年齢の人が貧困にあえぐ姿が映っていました。こういった現状や、国が補償するはずの「最低限度の生活」が保障されていない現実を、「自己責任」として片づけるわけにはいかないと思いました。
社会の仕組みを知識として持ち、いま日本で起きている事実を知っていく必要を感じました。知識がなければ何気ない一言で人を傷つけることがあるかもしれません。
だからこそ、患者さんの命を預かる看護師を目指す学生たちは、患者さんの人生を聴き、その人が今置かれている現状を把握し、病院にいるときだけでなく、病院に来る前も出た後もその人の生活や労働を守れるようにするのが看護師の役割の一つであると考えました。
フィールドワークを通じ、知らなかった日本の現状が次々と明らかになってきました。そして、このような事態がいつ自分の身に降りかかるのかも分かりません。今の現状を作り出しているのは国です。その国の代表を選んでいるのは私たち国民です。選ぶ権利があるからこそ、もっと社会に関心をもって、自分たちが世の中を変えていくという意識を持たなければならないと強く感じました。
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