こんにちは! 看護学生室です。
8月に入り、夏休みやら台風やら色々なことが駆け足で過ぎ去っていった気がします。
あっという間に今月も終わり。
学生の皆さんは、夏休みの思い出には何が残りましたか?
今回の奨学生フィールドワークでは、「登戸研究所資料館」へ見学に行ってきました。
神奈川県川崎市にある明治大学生田キャンパス内にある、第二次世界大戦中の日本の軍事施設、
またその史跡がある場所です。
戦争の史跡というと、有名なものでは広島にある原爆ドームなどを思い浮かべる人も多いかもしれません。
この登戸研究所は、一般的な「戦争」のイメージとは少し違った形の研究がなされていた場所でした。
秘密戦のための兵器や資料を研究開発していた場所なのです。
これは、爆薬などでの攻撃を行なうことではなく、防諜(スパイ防止)、諜報(スパイ活動)、謀略(かく乱行動や暗殺)、宣伝(人心の誘導)のような水面下で行なわれる戦いのための研究でした。
研究内容の極秘性もあり、当時は一般にはその存在すら秘密にされており、
戦後になっても公式の記録が残されていません。
よって、登戸研究所の全貌は未だに不明なところがあるということです。
大戦中に実際に使われていた建物を資料館に改築しており、水道など当時のままに残っているものもありました。また、明治大学キャンパス内にもいくつかの史跡があり、その両方を解説していただくことで学習しました。
登戸研究所の歴史を紐解くと、1937年に新宿にあった陸軍科学研究所の「登戸実験場」として、生田地区(現在の明治大学生田キャンパス内)に設置されたのが始まりです。
第一次世界大戦から第二次世界大戦に移っていき、地上戦のみならず、他国の情報収集などの情報戦の激化が進んでいきました。そんな中、登戸研究所では兵器の開発やスパイ機材、偽札作りなどの研究が行なわれていました。
情報を操作することによって戦況を有利に進めようとする方策によるものです。
研究員の方より解説をしていただきながら、展示を見学しました。
研究内容の一つとして、風船爆弾の模型が展示してありました。
当初はこの風船に牛疫ウイルスを搭載し、毒ガス攻撃を仕掛ける計画がありましたが、
ウイルス攻撃は戦争法で禁止されているため、実行はされませんでした。
しかし、爆弾を搭載し、太平洋の偏西風に乗せておよそ9,000キロもの距離を飛行させ、
アメリカ大陸まで到着させました。
およそ1,000発が着弾し、民間人6名の命を奪う結果となりました。
戦争では痛ましい結果を生んだ兵器開発ですが、
現在は電波兵器の研究は電子レンジの開発につながり、風船爆弾の経路の計算は
気象データの計算に役立ったと聞くと、なんだか複雑な気持ちになります。
毒物の開発を行なっていた研究班については、後に重い口を開き
研究内容を語った伴繁雄氏の証言によると、
「毒ガスの効果を調査するため人体実験も行なった。はじめは
人を殺しているという後ろめたさを感じていたが、実験の効果が
出るにつれて効果が出ることに楽しみを覚えた」
という主旨の発言があったそうです。
優秀な研究者ゆえ、のめり込んでしまったことなのかもしれませんが、
戦争という非常事態においての人間の感性についても考えさせられます。
偽札を作り、中国経済を混乱させるという作戦もありましたが、
当時の中国のお札は非常によくできており、計画通りにいかなかったという結果もありました。
暗室では写真の現像などが行なわれていたようです。
完全な暗闇を作るために、通路をクランク型にして光を入れないように工夫されています。
電気を消すと、真昼なのに完全な暗闇になった部屋に驚いて、
思わず「わあー!」と叫んでしまいました。
日本の敗戦とともに、他国に押収されてはいけない「特殊研究」に関する
すべての証拠を隠滅するという命令が極秘に出されました。
登戸研究所の内容も該当したため、その研究内容は闇に葬られました。
真相は今もなお、不明のままということです。
資料館の見学を終えたら、外に出ます。
ギラギラと太陽が照り付ける中、大学構内を歩きます。
まずは、井戸。
既に使われていないので、蓋がしてあり水が溜まっているだけですが、
実際に実験などで使われていたと言われているようです。
また、写真ではわかりにくいかもしれませんが、石柱に「陸軍」という
文字が見えます。これは陸軍関係の施設であるという証拠の一つに
なっているという事です。
「弾薬庫」と呼ばれている部屋の入口です(実際は立入禁止)。
「薬品庫」だったという説もあり、実際の用途は分かっていないそうです。
中は六畳ほどの広さがあり、明治大学の部活動などで実際に使われていた
時代もあったというお部屋です。
今回、奨学生の皆さんと一緒にフィールドワークに行った「登戸研究所」。
大半の学生さんは、行く前は研究所の名前も聞いたことがなかったということですが、
実際に研究員の方の解説を聞き、また実際に展示や史跡を目にして、様々な声が聞かれました。
「日本の技術力の高さに驚いた。しかしその技術が戦争のために使われていたこと、
人体実験まで行なわれていた現実に悲しい思いになった。」
「人を殺す実験まで日本が行なっていたことが衝撃的だった。絶対に戦争はやってはいけないことだと改めて感じた。」
「戦争はただ武器を持った軍人が戦うだけではないことを知った。」
「まるでナチスと同じようなことを日本でもしており、それが表に出ていないことを悲しいと思う。」
この登戸研究所設立の経緯には、高校生たちが戦争の歴史を調べ、文化祭で発表するために
地域調査を行なったことがきっかけだったと言います。前述の伴氏が重い口を開いたのも、
若い世代が戦争を知らなくなっていくことに、なにか危惧を覚えたのかもしれません。
戦争は過去に起こったことだから、私達には関係はない……と目を閉ざすよりも、
どんなことが行なわれていたのか、そして同じ過ちを繰り返さないようにするには
どうしたらよいのか。それを考えるのが、私たちの世代に求められているのかもしれません。
明治大学生田キャンパスは、緑も多くとてもきれいな場所なので、興味のある方は
是非足を運んでほしいなと思います。
参加した学生の皆さん、遠いところまで、本当にお疲れ様でした!
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